

清和館の碑
かつて、この地には、多くの人々が集い、地域の皆様に親しまれてきた「清和館(せいわかん)」があった。
昭和16年5月、創業間もない株式会社日立製作所多賀工場の総合福利施設として「清和館」クラブが、続く7月に「武徳殿(ぶとくでん)」道場が相次いで建設された。
往時の写真に見るとおり、この地は広い畑地であったが、旧多賀町の中心となるべき地域にこの福利施設を建設することが、将来、地域社会の発展に寄与すると考え、地元有志の協力を得て清和館が開設されたという。
以後、街の賑わいとともに施設は充実し、工場関係者のみならず、地域の人々の武道や文化活動の殿堂として、柔道や剣道、演劇の公演や芸能大会などのほか、結婚式などにも広く利用されてきたが、年月とともに老朽化が進み、激動の昭和とともに歩んできた施設は、惜しまれながらも平成14年5月にその使命を終えた。
このたび、まちの賑わいと地域文化を醸成してきた歴史あるこの地に、多賀地区のさらなる発展に寄与する施設として多賀市民プラザを建設した。
この新しい施設が市民の皆様との協働のもとで大いに活用され、地域のシンボルとして人々が集い、清和館と同様に末永く愛されることを願って、ここに記念碑を建立する。
平成18年3月吉日 日立市
(銘板・碑文より)
スポンサーサイト