
(向って右の碑=五世白兎園宗瑞句碑)
(向って左の碑=西行の歌碑)
碑文の説明
一、 山(やま)遠(を)奴(ぬ)具(く)力(ちから)霞(か)球(く)し亭(て)春(はる)農(の)水(みず)
五世白兎園宗瑞
この句は白兎園宗瑞の作である、宗瑞は江戸時代に活躍した俳人で宝暦4年(1754年)大久保村古賀内(現在の桜川町)鈴木家に生れ左内と称し志津磨とも言った幼時にして向学心に燃えていた、16才のとき嚴父の反対を押しきり江戸に出て刻苦勉励し水戸の支藩松平大炊守の家臣となり家老職となる。
また俳道にも優れ三世宗瑞の門人となりのち宗瑞五世を継ぎその門人は数百人あったという、文政3年(1819年)66才で没した、江戸大塚富士見坂善心寺に葬ったがその門人達が俳徳を慕って生れ故郷にこの代表作を刻んで建立したものである。
一、 おふ國(く)分(ぼ)の田(た)のもの蛙(かはず)名(な)のみして
ね覺(ざめ)せよとて鳴(な)く声(こえ)ぞうき
西行法師が行脚の際この地に来て現在の千石町にあった絵馬堂に一泊した時に詠まれたと傳へられている。
この碑は2基とも創建地は現在の千石町1-4-26で昔は旧国道より古賀内、諏訪方面への入口であったので碑の左下に「水阿なみち」の刻字がある。
更に宗瑞句碑の裏に刻まれた門人の句は次の通り
春(はる)能(の)海(うみ)貲(し)利(り)互(わたる)興(よ)里(り)
觴(さす)も■(ひと) 蝸牛、
行(いく)里(さと)也(や)人(ひと)農(の)疲(つかれ)遠(を)梅(うめ)農(の)咲(さく) ■慮、
立(たち)隠(かく)須(す)霞(かすみ)耶(か)鳥(とり)乃(の)宇(う)
し論(ろ)影(かげ) 香楽、
鳴(なく)蛙(かはず)古々(ここ)羅(ら)戒(が)江戸(えど)膿(の)捨(すて)■(ところ) 白萬、
碑は先に都市計画により日立市大久保小学校に移設されたが昭和53年戊午仲春に常陸多賀駅前に常陸南ロータリークラブの奉仕で移設した。
この度 日立南ロータリークラブ創立45周年記念事業の一環として 多賀市民プラザの完成を期にこの地に移設された。
平成18年4月
(説明板より)
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