【日立市大みか町6-15】


日立市指定有形文化財
泉川道標
(道標正面・碑文)
右端:「此地ミカノ原水木村ヘ十二町」
中央:「従是 泉川道」
左端:「常陸廿八社之内天速玉姫神社」
(道標向って左側面・碑文)
奥州岩瀬郡須賀川 泉屋忠兵衛立之
(道標向って右側面:碑文)
明和八年辛卯四月吉日」
(台座・碑文)
泉川道標復元の記
泉の流れ去るように人の世も しばしの休みとてなく変わつて行く
遥かなるみちのくに通ずるこゝ陸前浜街道も かつての岩城海道の昔の面影今は知るよしもなく 昨日の閑かでおおらかな旅人の姿は今日疾風の如く往き来
する近代車輛の轟音に代つている
二百年の風雪に堪え時の去来を静かに見守つていた泉川道標も近代交通の波に
うちひしがれ 一時は日立製作所厚生園内に退避を余儀なくされていたもので
あるが 苔むしたこの小さな道標の 日本交通史上に占める意義を考えるとき
群叢中に是をあたら散逸させるに忍びず ここに元の位置に復し再建するものである。
昭和三十八年三月八日
日立市大久保町 大窪定一
日立市森山町 丹 規矩
日立市水木町 河村佐内


日立市指定有形文化財
泉川道標
(道標正面・碑文)
右端:「此地ミカノ原水木村ヘ十二町」
中央:「従是 泉川道」
左端:「常陸廿八社之内天速玉姫神社」
(道標向って左側面・碑文)
奥州岩瀬郡須賀川 泉屋忠兵衛立之
(道標向って右側面:碑文)
明和八年辛卯四月吉日」
(台座・碑文)
泉川道標復元の記
泉の流れ去るように人の世も しばしの休みとてなく変わつて行く
遥かなるみちのくに通ずるこゝ陸前浜街道も かつての岩城海道の昔の面影今は知るよしもなく 昨日の閑かでおおらかな旅人の姿は今日疾風の如く往き来
する近代車輛の轟音に代つている
二百年の風雪に堪え時の去来を静かに見守つていた泉川道標も近代交通の波に
うちひしがれ 一時は日立製作所厚生園内に退避を余儀なくされていたもので
あるが 苔むしたこの小さな道標の 日本交通史上に占める意義を考えるとき
群叢中に是をあたら散逸させるに忍びず ここに元の位置に復し再建するものである。
昭和三十八年三月八日
日立市大久保町 大窪定一
日立市森山町 丹 規矩
日立市水木町 河村佐内
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