
高萩市指定文化財 史跡
鈴木玄淳の墓
昭和52年5月10日指定
所在地 高萩市大字下手綱418番地
鈴木玄淳(1703~1784)は、友部村(現十王町)に生まれ、のちに下手綱で医を開業した。
その後数十年にわたって農村指定の教育とあわせて、医学の門下生の養成にあたり、松岡七友の中心的役割をはたした。
名は玄淳、号は松江で、鱸は魚のスズキをもじった字である。
碑文は彼の教えを受けた長久保赤水の撰によるものである。
平成3年3月
高萩市教育委員会
(説明板より)
墓碑・碑文
先生諱玄淳字子朴號松江姓鈴木氏其先常州友部城主山直氏之宰也子孫世住其遺墟父瀬左衛門母根本氏先生其長子也附家資其弟出寓下手綱邑以醫為業志在隠逸能通和漢■学詩文俳諧莫不至其妙常奥之間志亭于學者来請益名聲籍甚先生之作詩刻意聲律其所著和漢年代歌唐詩平灰考為有識見稱並行于世為人純孝友于兄弟
幕府賞其學行賜金前後■三矣天明四年甲辰三月二十六日病沒季八十二葬于邑北之丘室勝■氏無子先生嘗愛門人渡邊文質厚以室■■妻之視猶子故喪事皆文之■主也請■■有師資之親即為銘曰
不事王■ 臥海濱 能養父母
孝哉若人 譲家隠醫 以知其仁
水藩侍講 長久保玄珠識
門人等建
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