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暇修館

史跡 大窪城跡と暇修館(かしゅうかん)跡
   昭和四十七年七月二十七日 日立市指定

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 この場所を中心として、東西二二〇m南北一五〇m一帯が大窪城の範囲と考えられ、西側に張り出す屋根上に築かれた天神山城とその南方の愛宕山城を合わせて大久保城とも呼ばれています。各城郭はお互いに密接な関係を持っていたと考えられています。
 大窪城は、永承元年(一一七七)平氏の一族の大堟宗幹(だいじょうむねもと)が大窪郷の愛宕山に築いたのが始まりとされ、十四世紀ごろ奥州の石川冠者有光の十四世詮光(あきみつ)の三男光治が、佐竹氏に仕えて初代大窪城主となりました。以後、大窪郷を支配すること八代二〇〇年に及びました。
 戦国時代の十六世紀頃、城は愛宕山・天神山に加えて現在の地へも造られ、地域支配と防衛の拠点となりました。今でも山頂から東側を眺めると、二重の濠跡(ほりあと、斜高四~七m)や土塁跡(高さ一~二m)がその面影をとどめています。
 暇修館は水戸藩の郷校で、天保十年(一八三九)に元の城郭の一部が藩に提供され、学問研修の施設として造られました。
 水戸藩に設立された十五の郷校のうち五番目に古いもので、初代館守大窪光茂のもと、医学・剣術・弓術・射撃訓練などが行われました。

日立市教育委員会

(暇修館内・講堂)
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(大窪城本丸跡=暇修館の裏)
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【場所】日立市大久保町4-15-1
暇修館
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