日立法人会の社会貢献活動の一環として、管内に所在する旧跡などをご紹介します。

法人会とは

法人会は、よき経営者を目指すものの団体です!
最新の税情報の案内や各種セミナー等の開催など会社経営に役立つ様々な 事業活動を行っております。

公益社団法人 日立法人会
〒317-0073
茨城県日立市幸町1-21-2
TEL.0294(24)2211
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詠歌(泉が森)

栗田博泉が森詠歌(記念碑より) 明治三十一年八月栗田寛・勤親子は勿来・平潟を巡り帰途泉が森に立ち寄る 栗田寛の門下生として輔仁学舎に学んだ多賀郡坂上村水木の内山耕造・徳之介兄弟は泉が森の案内役を勤めその折詠んだ歌を内山徳之介に恵贈された 栗田寛没後(一八九九)百年記念としてこの碑を奉献する   池のおもに浮かぶ光を玉と見て      むす手にわける月はありけり               水を掬めば月...
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藤田東湖納涼詩

藤田東湖泉ヶ森納涼詩冽々たる寒泉 深樹の下炎天下六月 颯として秋の如し豈徒に一時の熱を駆逐するのみならんや洗い尽す 乾坤万古の愁い冽々(手の切れるように冷たい)炎天六月(土用の最中 六月は新暦の七月)乾坤(天と地 この世)嘉永六年六月三日(一八五三)ペリー来航。藤田東湖(四十八歳)はその頃、湯岐温泉(現福島県東白河郡塙町湯岐・和泉屋旅館) で高血圧の治療に専念、約一ヶ月逗留後、六月十九日泉ヶ森を尋ね納涼詩を詠...
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ご神木(泉が森)

ご神木神霊の依り給える、神聖視されている象徴的な樹木である。このご神木は、杉の木に桜が根付いた宿り木であるが、昭和の初めに落雷により大きな損傷を受けた。表皮に現れた玉杢も見事で貴重なものであり、風雨を避けて温存している。 樹齢 推定四百五十年     平成年十月吉日之建【場所】泉が森内...
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慰霊塔(泉が森)

太平洋に面する丘陵上坂上小学校の西南端に 昭和の初我が郷土の有志の忠魂碑が建てられ坂上村民の欽仰のまととなっていた 其れが昭和二十年八月終戦と共に廃棄され 現在まで二十余年間放置されていたのを 今度英霊を弔わんとする人々の会合によって「戦没者慰霊塔建立委員会」が結成されその資金を委員の手に依って広く勧募し 五百万円を超え茲に慰霊塔の建立を見たのである此の塔にお祭りしたのは日露戦役から大東亜戦争に至...
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イトヨの里 泉が森公園

イトヨの里 泉が森公園泉が森のイトヨ イトヨは、体長5~6cmのトゲウオ科の魚類で、背中や腹などに鋭い棘を持っています。 一生を淡水生活する陸封型と産卵期以外を海水で過ごす降海型とがいます。 陸封型のイトヨは、一般にきれいな湧き水などの限られた場所に生息しています。 泉が森のイトヨはこの陸封型です。日本では、北海道、青森、福島、栃木、福井などに少数分布しています。 食性は、肉食で、水生昆虫や小型の甲殻...
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慰霊塔(諏訪梅林)

太平洋に臨み多賀山地を背にして鮎川の雨岸に成沢油縄子諏訪の大字三部落があつたこれが我等の郷土旧鮎川村である 村の中央に鮎川小学校がありその一隅に忠魂碑があつた その碑は旧鮎川村出身の戦没者の霊を慰めるため大正年間建立されたものである 然るにその碑は昭和二十年八月終戦直後の混乱の中で姿を消したのである 爾来二十余年多賀町の一部となっていた鮎川地区はその後日立市と合併し今や発展の中心となりその様相は年...
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諏訪梅林

この梅林は、第9代水戸藩主・徳川斉昭(烈公)が、天保初年に造園させたのにはじまるといわれていす。現在この梅林は、面積10,502平方メートルあり、282本の梅樹が植えられています。烈公手植えの梅【場所】日立市諏訪町1,067番地の1...
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長塚節の歌碑

長塚節歌碑建設の由来 長塚節は明治十二年四月 茨城県岡田郡田村国生(現在結城郡石下町大字国生)に誕生 後年アララギ派歌人として活躍し また長編小説「土」を発表して作家としての名声を博した 明治三十五年三月二十四日 節は はるばると烈公ゆかりの当該諏訪梅林を訪れ碑面の歌を残している 雪降りて寒くはあれど梅の花  散らまく惜しみ出でて来にけり 自然をこよなく愛し春にさきがけて開く梅の花に心ひかれてここ...
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馬頭観世音(諏訪神社内)

馬頭観世音さま ここ、諏訪梅林の橋のたもとに静かにたたずむ石仏は三面六臂の馬頭観世音さまで日立地方では数少ない。 この尊像は私たちに病気災難の厄除け、一生を幸福に過ごさせてくれる観世音様である。時をこえて昔の里人の心が素朴に伝わってくる 像の制作は諏訪梅林の造成に先立つこと七十七年前宝暦十二年(一七二六)である。    昭和五十七年十一月三日       諏訪文化財愛護班       諏訪梅友会【...
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諏訪神社

諏訪神社由緒略誌祭神 下社 建御名方命    上社 蹈鞴五十鈴姫命例祭 四月二十七日 十一月二十七日当社は建長二年(西暦一二五〇年)信州の神人万年太夫藤原高利が諏訪大社の御分霊をこの地に祀り創建された諏訪の氏神で江戸時代の元禄年間には水戸黄門光圀卿も参詣され神宝の万年太夫夫婦像の保護に力を尽くされた社である 爾来氏子の人びとは代々守護神として崇敬し国の平和と家内の安全を祈願し郷土は年とともに生成発...
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木像万年太夫夫婦坐像

茨城県指定文化財(彫刻第百二十号)木造万年太夫夫婦坐像(胎内像を含む)四軀    指定年月日 昭和四十九年三月三十一日    管理者    諏訪神社 社伝によると、現在、胎内像と呼ばれている木彫は、建長二年(一二五〇)に信濃の国(今の長野県)の諏訪神社をこの地へ勧請した神職藤原高利(万年太夫)が、自ら夫婦像を彫刻して納めたものだといいます。 水戸藩第二代藩主徳川光圀は、元禄二年(一六八九)秋...
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玉簾の滝

市指定名勝第1号指定年月日:昭和46年7月21日滝の規模は、高さが18m、幅は8m水戸藩2代藩主・徳川光圀が天和3年(1683年)7月に訪れ、滝の様相が軒下につるす簾(すだれ)に似ていることから、「玉簾の滝」と命名した。【場所】日立市東河内町899番地...
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相馬碑

日立市指定文化財(史跡第四号)相馬碑指定年月日 昭和五十一年一月二十五日管  理  者 日立市教育委員会 相馬碑は、永禄五年(一五六二)八月、孫沢原の合戦で、相馬中村(福島県)の城主相馬盛胤の軍勢が、佐竹義昭の軍勢に敗れて敗戦した相馬将士の供養碑であると伝えられています。 江戸時代には、街道(今の旧国道)の桜川沿いに建立されていましたが、道路改良などで二度ほど移動し、その後、昭和五十一年十一月二十七...
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