日立法人会の社会貢献活動の一環として、管内に所在する旧跡などをご紹介します。

法人会とは

法人会は、よき経営者を目指すものの団体です!
最新の税情報の案内や各種セミナー等の開催など会社経営に役立つ様々な 事業活動を行っております。

公益社団法人 日立法人会
〒317-0073
茨城県日立市幸町1-21-2
TEL.0294(24)2211
FAX.0294(22)0130
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史跡 南高野貝塚

史跡 南高野貝塚茨城県指定文化財史跡第35号昭和54年3月8日指定この南高野貝塚は、久慈川の支流茂宮川に面した大地緑辺に立地しています。貝塚は人が食べた貝の殻や魚の骨、鳥や獣の骨などが堆積して出来たもので、この貝塚では昭和27年(1952)と昭和31年(1956)に発掘調査が実施されています。貝塚が形成されたのは縄文時代の中期から晩期であり、その出土品からは当時ここに住んでいた人々の生活をうかがい知ることができます。日...
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聖徳太子堂

聖徳太子堂聖徳太子は用名天皇の第一子皇子にして幼少の頃より仏教儒教を学び俊秀の誉高く飛鳥時代の優れた為政者であった特に太子の青年時代には度量衡を用いることを普及され当時測量、土木建築事業の推進や織物農具製作等に自らこれを使用して範を重ねる等画期的な役割を果たされ、このような職業にたづさわる人達から神と崇められ、それで守り本尊として信仰されるようになってまいりました此のような数々の偉業は後の世まで語...
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泉神社

泉神社泉神社拝殿造営記念碑 泉神社は 延喜式内常陸国二十八座中の一座 久慈郡七座中の一座で 崇神天皇の御代この地に鎮祭祀されたと伝えられる由緒深い旧郷社である 社記には 古老曰く社の側に神井あり いま泉河と伝ふ 古霊玉此地に天降り 霊水湧騰して泉をなす 号けて泉川と伝ひ 霊玉を以て神体とす とあり 祭神はこの霊玉の神格化した天速玉姫命と伝えられ 延喜式神名帳には当神社を天速玉姫神社と記している 三...
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泉が森

茨城県指定文化財(史跡第二十三号)昭和四十四年十二月一日指定泉が森 こんもりと生い茂った常緑樹に囲まれた区域、泉神社境内一帯が史跡として指定されています。 泉が森については、奈良時代に編纂された、「常陸国風土記」に次のように記されています。 此より東北のかた二里に密筑あり。村の中に淨泉あり。俗、大井と 謂う。夏は冷ややかにして冬は暖かなり。湧き溢れて河となれり。 夏の暑き時、遠邇の郷里より...
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詠歌(泉が森)

栗田博泉が森詠歌(記念碑より) 明治三十一年八月栗田寛・勤親子は勿来・平潟を巡り帰途泉が森に立ち寄る 栗田寛の門下生として輔仁学舎に学んだ多賀郡坂上村水木の内山耕造・徳之介兄弟は泉が森の案内役を勤めその折詠んだ歌を内山徳之介に恵贈された 栗田寛没後(一八九九)百年記念としてこの碑を奉献する   池のおもに浮かぶ光を玉と見て      むす手にわける月はありけり               水を掬めば月...
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藤田東湖納涼詩

藤田東湖泉ヶ森納涼詩冽々たる寒泉 深樹の下炎天下六月 颯として秋の如し豈徒に一時の熱を駆逐するのみならんや洗い尽す 乾坤万古の愁い冽々(手の切れるように冷たい)炎天六月(土用の最中 六月は新暦の七月)乾坤(天と地 この世)嘉永六年六月三日(一八五三)ペリー来航。藤田東湖(四十八歳)はその頃、湯岐温泉(現福島県東白河郡塙町湯岐・和泉屋旅館) で高血圧の治療に専念、約一ヶ月逗留後、六月十九日泉ヶ森を尋ね納涼詩を詠...
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ご神木(泉が森)

ご神木神霊の依り給える、神聖視されている象徴的な樹木である。このご神木は、杉の木に桜が根付いた宿り木であるが、昭和の初めに落雷により大きな損傷を受けた。表皮に現れた玉杢も見事で貴重なものであり、風雨を避けて温存している。 樹齢 推定四百五十年     平成年十月吉日之建【場所】泉が森内...
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慰霊塔(泉が森)

太平洋に面する丘陵上坂上小学校の西南端に 昭和の初我が郷土の有志の忠魂碑が建てられ坂上村民の欽仰のまととなっていた 其れが昭和二十年八月終戦と共に廃棄され 現在まで二十余年間放置されていたのを 今度英霊を弔わんとする人々の会合によって「戦没者慰霊塔建立委員会」が結成されその資金を委員の手に依って広く勧募し 五百万円を超え茲に慰霊塔の建立を見たのである此の塔にお祭りしたのは日露戦役から大東亜戦争に至...
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イトヨの里 泉が森公園

イトヨの里 泉が森公園泉が森のイトヨ イトヨは、体長5~6cmのトゲウオ科の魚類で、背中や腹などに鋭い棘を持っています。 一生を淡水生活する陸封型と産卵期以外を海水で過ごす降海型とがいます。 陸封型のイトヨは、一般にきれいな湧き水などの限られた場所に生息しています。 泉が森のイトヨはこの陸封型です。日本では、北海道、青森、福島、栃木、福井などに少数分布しています。 食性は、肉食で、水生昆虫や小型の甲殻...
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慰霊塔(諏訪梅林)

太平洋に臨み多賀山地を背にして鮎川の雨岸に成沢油縄子諏訪の大字三部落があつたこれが我等の郷土旧鮎川村である 村の中央に鮎川小学校がありその一隅に忠魂碑があつた その碑は旧鮎川村出身の戦没者の霊を慰めるため大正年間建立されたものである 然るにその碑は昭和二十年八月終戦直後の混乱の中で姿を消したのである 爾来二十余年多賀町の一部となっていた鮎川地区はその後日立市と合併し今や発展の中心となりその様相は年...
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